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はいだ しょうこ(1979年3月25日 - )は、日本の歌手、女優、タレント。本名、拝田 祥子(読み方同じ、苗字は旧姓)。宝塚歌劇団での芸名は千琴 ひめか(ちこと ひめか)。 歌劇団在団時の愛称は「ショーコ」。東京都立川市生まれ、隣の国立市で育つ。東宝芸能→ホリプロ所属。身長158cm。 == 来歴 == 父は前国立音楽大学准教授で、現ミュージカルアカデミー ドリーム学院長、国際ディオ協会会員、立川市地域文化振興財団評議委員の拝田正機〔「拝田正機 」ミュージカルアカデミー ドリーム。〕。母は声楽家で、ミュージカルアカデミー ドリーム声楽コース講師。姉は薬剤師で、はいだ曰く「歌う薬剤師」で、はいだのソロCDにコーラスで参加したり、コンサートにゲスト参加したこともあり、はいだのブログにもたびたび登場している。〔2009年12月11日放送「中居正広の金曜日のスマたちへ」より。〕 父の仕事の都合で幼少期の2年間はニューヨークで過ごす。その間、3歳の時にニューヨーク在住の日本人の子供を集めて歌を歌うというテレビ局の企画で人生初のテレビ出演を果たす〔『森田一義アワー 笑っていいとも!』 2011年3月22日放送分〕。 桐朋学園小学校在籍時には「全国童謡コンクール」でグランプリ賞受賞〔はいだ しょうこ プロフィール 〕〔〔2014年度の同コンクールでは司会を務めた。〕。またこの間、9歳から中田喜直に師事し(「中田喜直の最後の愛弟子」と言われている)、童謡・ポップスを学び、この頃から童謡歌手としてコンサート活動を行っていた。桐朋女子中学校から国立音楽大学附属高等学校に進学。 高校2年生の時に2度目の受験で宝塚音楽学校に合格。1998年に音楽学校を卒業後『千琴ひめか』の芸名で宝塚歌劇団に入団(84期)。宝塚音楽学校卒業時には「オペラ部門主席/ポピュラー部門最優秀歌唱受賞」を受賞。同期には遠野あすか、白羽ゆり、音月桂、桐生園加らがいる。宙組公演『シトラスの風』で初舞台を踏み、組み回り出演を経て 星組に配属。主に娘役として活躍したが、いわゆる『トップ』(主役)の経験はない。 2001年には星組公演『ベルサイユのばら2001』で、通常最低でも6年目以上でないと務められないとされるエトワール〔フィナーレのパレードで最初に登場し大階段でソロを歌う役割。劇での主役ではない。〕を異例の入団3年目で務めた〔。2002年秋、宝塚歌劇団を退団〔。 その後、2003年4月7日から2008年3月28日までの5年間、NHKの未就園児向け番組『おかあさんといっしょ』の第19代目うたのおねえさんとして活躍した〔。宝塚歌劇団出身のうたのおねえさんは第8代目の森晴美以来となる歴代2人目。就任時に「たくさんの子供達に自分の名前を覚えてもらいたい」という理由で、芸名を本名(のひらがな表記)の『はいだしょうこ』に戻した。番組で共演したうたのおにいさんは第10代目の今井ゆうぞう。共演したたいそうのおにいさん、おねえさんは、最初の2年間は佐藤弘道ときよこ(当時:タリキヨコ)、その後の3年間は小林よしひさといとうまゆ。5年間の在任期間は、三谷たくみの8年間、神崎ゆう子と茂森あゆみの6年間に次ぐ歴代4位の長さ〔。 うたのおねえさん卒業後はソロ歌手・タレントとして活躍中であるが、「おかあさんといっしょ」のファミリーコンサート〔うたのおねえさんの現役を退いた後に「うたのおねえさん」として出演したファミリーコンサートとして2009年11月の「星空のメリーゴーラウンド 〜50周年記念コンサート〜」がある。〕やぐ〜チョコランタンのファミリーコンサート・NHKの子供番組キャラが集合したコンサート 〔グーチョコ神戸o(^-^)o 〕やバラエティー番組等にも出演している。 前述の通り宝塚歌劇団出身ではあるが、宝塚の所属期間が4年間と比較的短く、主役である「トップ」の経験がないこと、宝塚退団後に芸名を(全てひらがな表記ではあるが)本名に戻していること、「おかあさんといっしょ」への出演経験等から、『元・宝塚(タカラジェンヌ)』よりも『元・うたのおねえさん』や『しょうこおねえさん』と呼ばれることの方が圧倒的に多く、最近では宝塚に在籍していたことを知らない人も多い。また、宝塚出身の芸能人では数少ない「退団後に宝塚在籍時の芸名を使用していない芸能人」である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「はいだしょうこ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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